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先入観などアテにならない

 東京都内にある「インド料理」のお店は、「インド」と銘打っているにも関わらず働いているのはネパールやバングラディッシュの方が多いという。
見た目は同じ(大変に失礼!)なので、聞かなければ解らない事である。

そんな予備知識を持って、五反田のインドカレー屋へ行った。
見るからに中東系の小柄な初老のおばさんは「マンゴラッシー、辛さはいくつにしますか?」と流暢な日本語をファンキーに操っていた。

カレーは至って普通の「インドカレー」
決してまずくはないが、悪いが特筆すべきものも無い。

ファンキーなノリの中東おばさんに、「どちらの方ですか?」と聞いてみると

私はイラクで産まれました。中学〜高校はフランスに行き、柔道をしに日本に来ました
日本では講道館で柔道してました
子供からおじいさんまで、生徒が150人もいた先生をしてたけど、柔道は「心のスポーツ」だから、全然お金にならなくて。
そこでカレー屋かラーメン屋をやろうと考えて、カレー屋をやることにしたんです
だけど、このところ不況ね、全然儲からない
本当は、誰かにこのお店任せて「ともえ投げ」たくさんしたいのにね!

と、いうわけでした。

フランスに留学してただなんて、恐らく以上に裕福な家庭だったのでしょう
サダムフセインのなんたらかんたらがあったりで、我々日本人には想像を絶する出来事があったかもしれません。怖い事も沢山みたかもしれません。

日本にきて20年とか30年とか言ってたような気がします
もう二工夫あればな〜というお味でしたが、なんだか応援したい気持ちです
しかし、考えてみると・・
そのルックスで「インド料理」は、大変申し訳ないけど普通
ラーメン屋だったら面白かったのにね〜

五反田に行く事が有れば、ぜひこのお店のファンキーなおばさんとお話してみてください

おしまい
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やれば意外とできるもの

震災後、原子力はもちろんのことガソリンなどに頼らない「エコ」が世の中に蔓延している(蔓延という書方は適切ではないが)
そういえばめっきり「アメ車」の姿を見なくなったなあ。プリウスは本当に良く見かけるけど。
自転車屋さんはそんなこんなで、最近はとても忙しいらしい。

震災とは全く関係ない去年から自転車にはまってしまった私は、いままで数々の自転車を組上げてきた。
と、いっても、完成車(殆ど中古だが)で買った自転車を一旦バラして、好みのパーツに付け替えるだけである。
まぁこれくらいは、ちょっとメカに強い男の子なら誰でもできる
ホイールを組んではじめていっちょまえの「自転車馬鹿」と言えるのではないか、と思う気持ちはずっとあり、先日、ようやくホイール振れとり台を入手したので、ホイール組に挑戦してみたのだ。

と、いってものっけから新品パーツを使って組む程自信は無いので、既存のホイールを一旦ばらして、再度組み直すという慎重ぶり。
サイクリーで購入したノーブランドホイール
スポークが交差する組み方を「タンジェント」とかいうらしいのだが、これは私は嫌いなのだ。ママチャリみたいに思えてしまうので。
そこで、スポークを全部外し、交差しない方法(「ラジアル」という)で組み、しかも本数を減らしてみよう、という試みである
もう後には戻れない
ハブはノーブランドながら「シールドベアリング」といって、回転が実にスムーズである。

タンジェント組をラジアル組に変更するので、スポークの長さがやや短くなる
どれだけ短くすればよいのか、ネットの世界は便利で、計算をしてくれるページがそこかしこにある。
リムの外径やらハブのPCDやら数値を入れてゆくのだが、どこを測ればいいのかよく解らない部分も多い。
想像を交えて計算すると204.7mmとでた。
幡ヶ谷のブルーラグというオサレな自転車屋に205mmでスポークを発注
1時間ほどで完成し約1800円也

しかし、計算がミスっていたのかスポークが長過ぎる。
念のため測ってみると208mmある。なんだよチクショウ。

気を改めて、すこし角度をつけてスポークとリム間を長めに渡すようにしてみた


はいできました
本当は振れとり中の動画を載せたかったのだが、動画UPがやや面倒なので省略

自転車に興味が無い人がみても、全然面白くない内容でしたが、私のようなド素人でも、そこそこの工具とインターネットがあれば、こんな事もできるんだよ。
去年作ったチーズケーキと同じくらいの「やれば出来る度」だと思いました。

おしまい
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政治家

 先週、仙台でライブ出演のついでに(というと言葉が悪いな)震災ボランティアをしてきた。

仙台市内の実家から、通える範囲のボランティアセンターは既に閉鎖されたところも多く、前回8月同様、七ヶ浜のボランティアセンターへ行った。
前回から比べると随分片付いた感はあるのだけど、少し奥地へ踏み入れるとまだまだ震災直後と変わらぬ光景があった。

震災から8ヶ月
東京にいると、あれは本当にあったのか?と思う事が時々あるのだけど、仙台では常に現実なのだ。毎日毎日テレビをつける度に「がんばろう」とか「まけない」とか「絆」とか・・・それはそれで辛くなって来る、と地元の仲間は言っていたが。

なぜ七ヶ浜ボランティアセンターだけがまだ残っているのか、センターの方に聞くと、他のところは決して片付いたわけではなく、センターでリーダーシップを発揮できる人が少ないため、ボランティアが多数きても捌ききれなくなってしまったのだ、と言う。
七ヶ浜の場合、センターに町議会議員の方が2名いらっしゃって、リーダーシップを発揮してくれるから、作業の差配が上手くいき、こうして長く続けることができているのだ、と。

次の日、ライブイベント出演
素晴らしいイベントだった。この内容は後日に記すとする。
イベント後、打ち上げにゆく。
古くからの仲間達がそろい、まるで同窓会。
かつて自分のことを「〜さん」と呼んでいた年下の仲間が、そのまた年下に「〜さん」と呼ばれていた。
まぁ、こんなことはもう数年前からだったと思うのだが、そのときはなぜか感慨深かった。
あ〜おれも歳をとったなあ、というより、自分は、社会的に責任があり、波及力をもてる年齢になったのだなあ、と思ったのだ。
まあ、それも今更なのだけど。
そう考えたとき、我々の世代が、もっと政治に関与していくべきではないか、と思ったのだ。

政治家ってどんな人なのだろう?と考えた事があった。
随分前、桜新町を歩いていると、宗教団体の後ろ盾をもつ某政党のポスターが貼ってあり、見覚えが有る名前が書いてあった。
その場では思い出せず、家に帰り早速ネットで調べると、小学校の時の同級生だった事が解った。
彼はどんな男だったっけ?
よく覚えていないのだが、なんどか彼の家に遊びに行った記憶があった。
クラスの人気者ってほどではなかったと思うが、わりと明るく元気なやつで、リーダー気質はあったかどうか・・あるかないかの2択であればどちらかというとあるほうだったかもしれない。ずば抜けて成績が良い方ではなかったと思うが、いいかわるいかどちらかといえば良い方だったと思う。
彼の笑い声はなんとなく覚えている。今思うと心の底から笑っているというよりは、笑ってる風を醸し出していたようにも思う。

TPPや普天間、もちろん震災も
今、政治家に問われる事は、近年まれに見る重責ではないかと思う。
恐らく、何年か後の教科書に「〜時代」とか名付けられて残るような。
政治家の善し悪しに、その人の性格、パーソナリティが占める割合はどのくらいなのだろう?とも考えた事があった。
野田、という人は、いったいどんな男なのだろう?
辛抱強く、あせらず、じっくり考えて最善の策を選択するような人かな(良く言えば)
子供の頃はどうだっただろう?きっと人気者タイプじゃなさそうだし、じめっとしたグループの中に居そうな感じ(まぁ見たまんま言ってるだけだが)

近頃は、政治に対していままでよりもずっと身近に感じ、気にしているという人は多いと思う。
いままでは政治家なんて、ナニナニ党の人か先祖代々政治家か・・いずれにせよ自分には関係ない人種であると思っていた。
ツィッターやフェイスブック、ブログなどで仲間たちの言葉を聞くと尚更、自分に近い人に政治家になって欲しいと思ったのである。
国政は難しいし解らん。しかし、自分が愛する郷土、仲間たちが住んでいる郷土の議会くらいならできるんじゃないか。というか、信頼する身近な人に関わってほしい、と思ったのだ。
話がすこしそれたが・・・自分が、自分の仲間たちがそういう事を可能にできる年齢になっているのだから。
いま、人任せにしてしまってはダメに思うのだ。
自分達の世代が人任せにしたら、その次の世代はどうなる?

いろんな事に積極的に行動できて、前向きで思慮深くて、たくさんの人に愛される個性をもつ人。嘘がなくてみんなの期待を裏切らない人。程度にいい加減でゆとりが有る人。
そういう人を私は既にみつけています。この先の人生でその人を応援したいと思っています。
郷土仙台のために!
後は、その人が自覚して覚悟を決め腹をくくるのを待つだけです。
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この車は、エコカー減税の対象車輛ではありません

 
むしろ増税してくれ
(画像はネットの拾物だよ)
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罪はどこから産まれるか その3

 先日、フジのドラマ「それでも、生きてゆく」が終わった。
少年犯罪の被害者家族と加害者家族のその後、という視点でのドラマはいままで見た事が無かったのと、時任三郎や大竹しのぶ、風吹ジュンといった往年(というにはまだ若いか)の名優に加え、瑛太や満島ひかりの演技が素晴らしく、毎回見入ってしまった。

ただ、この物語の中心である出来事、15年前の幼女殺人事件。なぜ少年はその罪を犯してしまったのか、(事件当時は)家庭を顧みないエリートサラリーマンだった時任三郎演ずる父と、実の子ではないのに逃げ出さず家族を守る覚悟を持った
風吹ジュン演ずる母親からは「罪」が産まれた原因が見えてこなかった。
そう考えたとき、前回書いた、我が家に遊びにきた親戚の娘の財布を盗んだ子供の親の姿、パトカーに乗せられて行く姿が思い浮かんだのだ。
彼らは全く生き生きとしていなかった。もう何年も昔の事なので恐らく誇張して覚えているとは思う。しかし、さほど大人ではなかった自分の目から見ても、あの親は自分が今置かれている状況を把握しているようには思えなかった。

と、更にここまで考えたとき、「方程式」に当てはめようとしている自分が居る事に気づいてしまった。
自分のごくわずかな経験だけで、物事を決めつけようとしていた自分。
怖いのだ。何が原因か全く解らないところから産まれる悪・罪・犯罪が。だから、無理矢理にでも当てはめようとしてしまう。ある種の偏見。

木を見て森を見ず。十把一絡げ。
物事を鋭角的にとらえすぎる事から間違いは始まるように思う。
せいぜい隣町までくらいしかリアルタイムな情報が得られなかった時代から、地球の裏側の出来事を即座に知る事が出来るようになった現代まで恐らく100年程度しかたっていない。
知るという事は素晴らしい事であるが、いとも簡単に様々な事を知る事が出来る現代では、自らの力で知る事を放棄してしまっている人は少なくない。

「学問のすゝめ」は「天は人の上に人を作らず、人の下に人をつくらず」といった文章から始まるが、それがなぜ学問を勧める事に繋がるのか解っていなかった。
かいつまんでいえば・・本来人間は平等なはずなのに、学ぶ事を怠ってしまう人がいるために平等でなくなってしまう世の中である。皆が平等であるために、各々学ぶべきである・・
諭吉が存命していた頃より、世の中ははるかに便利になったが、その分学ぶべき事はもの凄く増えているのだ。

今年はもの凄い事が起きた。
しかし、そのおかげ(という言い方はなかなか語弊はあるが)で、いろんな人との繋がりをこれまで以上に感じることができたし、知らない人たちの悲しみ、痛み、苦しみ、そして喜びなど・・知識ではなく体で感じる事ができたのではないか、と思う。
自分以外の人を考えたり、思いやったりするところから、学びを始める事ができるのだと思う。

あまりに壮大で分相応のお題を設けたばかりに、かなり思い悩んだ今日この頃だったけど、こうして思い悩む事もまた大事な一歩であると考えよう。
いつか自分が親になる時の為に。

おわり。
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罪はどこから産まれるか その2

 私が表題を「悪」ではなく「罪」としたのは、「悪」は一見普遍的だが、時代・地域・そして個人によってその見解が別れるものではなく、憲法や法律に違反すること、という具体的な意味を込めている。
それには殺人や傷害、泥棒や恐喝はもちろん、(歩行中の)信号無視や(自転車の)2人乗りなどまで、ありとあらゆる「犯罪」が含まれる。
私は法曹界の人間ではないので詳しくは解らないが、実際のところ法律は、本能的に判断できる「やっていいこと」「いけないこと」よりも、知識として覚える、誰かが覚えさせる必要があるもののほうが多いのではないか、と思う。

本来は本能的にいけないことと感じ取れるはずの罪、人を殴ったり暴力的に痛めつけたりすることすら、それを面白い事、かっこいいこと、と感じさせてしまうような情報はいくらでもある。
年末恒例になりはじめているダウンタウンの「笑ってはいけない〜」シリーズ。
「人を叩いてはいけないってお父さんは言ってるけど、なんで叩かれるとみんな笑うの?」
と、子供が疑問をもったらなんと答えるか、予め考えておく必要がある。
見せない、を選択肢に入れるべきではない。なぜなら、家庭では禁止しても翌日学校で誰かが必ず「笑ってはいけないゴッコ」を始めるからだ。

私には今、子供がいない。まぁそれにはいろいろ理由があるのだが、このようにアレコレ考えてしまって恐ろしくなってしまうということも、僅かではあるが理由の1つに有る。
「子供が大人になる為」に必要な算数や社会、国語・・(全然身に付かなかった)英語・・何年も義務教育に通い、高校そして大学まで行ったが「大人が親になる為」に必要な事は少なくとも学校では教わる事がなかったと思うし。
そういうのは男の子なら父親に学ぶのだろうか?残念ながら私の父は自分が高校2年の時に病死してしまった。

前回の続き・・
私が用事を済ませ帰宅したとき、パトカーが家の前に停まっていて、ちょうど財布を盗んだ子供とその両親がパトカーに乗ってどこかの署へ連れて行かれるときだった。
(なので、財布が盗まれたのが発覚した時〜子供がおもちゃを抱えて帰ってきたとき、あたりまではうちの母親からの伝聞である)
その時はどうしてパトカーが家の前にいて、しらないお父さんお母さんとそして子供がパトカーに乗せられていくのか解らなかった。
ただ、なんの動揺もなく淡々とした表情・‥つまり無表情な(その子の)父親の姿だけがいまでも目に浮かぶ。
これも母親からの伝聞であるが、署に行ったオジサン(うちの母さんのイトコね)は、盗んだ子供が取り調べられている間、子供の両親と一緒にいたのだが、とくに謝るふうでもなくほとんどお互いに無言でいたようだった。
自分の記憶とも重ね合わせると、子供に無関心な親、そしてその子供・・なんとなく合点がいってしまうのだが、しかし、母からの伝聞や自分の遠い記憶であるので、そう簡単に結びつけてしまうのは邪推かもしれない。

これも何年も前の話
私が仙台でやっていたバンドのメンバーが、突然行方不明になるという出来事があった。
家族も居場所が解らず、彼の彼女も泣きながら電話してきた(ような記憶がある)
なぜ行方不明になったのかは、数日後とあるスポーツ新聞に掲載されていた記事で発覚した。
事務所アラシをしていた男が、その「作業中」に誰かに見つかりそうになり慌てて逃げ出したが、肝心の「商売道具」を現場に置き忘れてしまい、途方に暮れた挙げ句「盗まれた」という話をデッチあげて警察に届けをだしに行ったが、言動があまりに不審な為、逆に追求されて白状・・あえなく御用となった・・という、ちょっと情けない話、的な取り上げられかた、まさにその男がその彼であったのだ。
そのことを別のメンバーが電話で知らせてきた時の事を、いまでも思い出せる。
その時の場所や自分がそのときなにをしていたかも。
そのことを知らせてくれたメンバーは「人間の生き方なんて様々あるのに、あの親があってこういう出来事があるなんて、まるで数学の方程式のようにはまってしまうのはなんでだろうねえ・・」というような事をしみじみ話していた。
私は彼がどんな家庭に育ったかは、それほど知らない。
どんな親だったのかも解らない。
それっきり、彼とは会う事が無かった(と、思う)
数年前、彼がいまどうしているのかふと気になって昔の友人に尋ねてみると、彼はその数年前に病気で亡くなっていた。しかも亡くなったのはどこかの刑務所だった、ということだった。

今年は震災で大勢の人が亡くなった。その1ヶ月前に大切な友人も亡くなった。とても若かったのに。
気づくと自分は人生の折り返し地点に近づいている(いやもうとっくに過ぎているのかもしれない)
子供を欲しいという気持ちは無い訳ではない。自分が死んでも自分の体のなにがしかの部分を引きついだ人間が生き続ける、というのはなにものにも代え難い素晴らしい事に思える。
子供がいれば、自分は完全に死なないのだ。
ただ、子供を裏切る無責任な言動・行動をしてしまいそうな自分が怖くもある。
しかし、それも含めて人間なんだ、と、いつか子供も解る時は必ずくるとも思う。

さすがに眠くて頭が回らなくなってしまったので、今日はここまで・・
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罪はどこから産まれるか

 仙台に居た頃の出来事なので、20年近く前の話です。

今日は早くから親戚のおじさん(母さんのイトコ)が車で家に遊びにくるので、駐車場を1台分空けといてくれ、というので私の車を家の前の路上に出しておいた(家の前の道路は行き止まりで、先には沼と田んぼと山がある)

ほどなくおじさんが娘をつれて遊びに訪れ、私はなんかの用事で車ででかけようとしたのだが、車に付けっぱなしにしておいたカギがない。
うちの近所は前述の通り道路が行き止まりで、なにがしかの用事がないと近所の人以外は訪ねてくる事がない場所なので、カギは付けっぱなしだったのだ。

あちこち探すがない。車のまわりをごそごそ探していると、近所のおばさんが
「小学校低学年くらいの子供が車のドアをあけたりして、なんかイタズラしていたようだよ」と。
ちなみに、私の車は当時ジープだったので、ドアにはカギがなく誰でも容易にあけられる。
子供の興味をそそるには充分変わった車である。

続けて近所のおばさんに聞くと、子供は車をイタズラしてたあと、すぐそばのウチの庭の植え込みあたりでなんかしていた、と。そこで植え込みをみるとカギがあった。
なんだかなーと、思いつつ慌てて出かけた。

用事を済ませ、帰宅すると今度は家の前にパトカーが停まっていた。
親戚のおじさんが帰ろうとすると、車の中を荒らされた形跡があり、娘さんの財布がはいったバッグが無くなっていたと。財布の中には3万円ほど入っていたと。

当時我が家の真上には、知的障害がある子供たちの寮制の学校があった。
学校の子供達はごくたまに、家にあがりこんでテーブルの上のリンゴをかじったりすることはあったが、(わざわざ車の中にある財布の)お金をとるという発想は無いように思えた。
念のため学校の先生に聞くと、その時間で学校の外へでた子供はいなかった。

となると自ずと、(自分の)ジープのカギをいたずらした子供が怪しいのでは、ということになった。
近所のおばさんによるとその子供は、そのまた近所に有るアパートに住んでいる子供によく似ていたという。
アパートを訪ねると両親が居て、子供は出かけていた。
外で帰りをまつと、ほどなく両手に大きな買い物袋をぶらさげた子が帰ってきた。
買い物袋の中には、おもちゃが沢山!計算するとちょうど3万円分くらいだった。

その後おじさん家族は、その子供の両親とともに警察へ行き事情聴取などをうけた。

なぜ小学校低学年の子供が、他人のものを盗んだのか?当時大学生だった私はこう考えた。
その子が住んでいるアパートは、お世辞にも奇麗とはいえない古びたアパートで、子供が(たしか)3人いた。きっと全ての子供におもちゃを買い与える程の収入が両親には無く、うちにないのなら、あるところから持ってくれば良い、という単純で短絡的な発想しかなかったのだろう、と。
その子の両親は、うちにないものはよそからもってきなさい、などとは言ってないと思う。しかし、そうしてはダメだ、とも強く言ってなかったのだとも思った。

子供の犯罪の原因は家庭にある、と私は思う。
家庭から一歩外にでれば家族が(子供の)耳を覆いたくなる・目を塞ぎたくなるような情報はいくらでもあるだろう。しかしそれは理由にならない。
なぜなら、そういう時代に生きているのだから。
あれをしちゃダメ!と言いたいのなら、ダメな理由を子供でも納得できるように説明しなければならないのだ。

私が子供の頃ラジコンの車がはやっていて、学校ではそれを持っている同級生が多かった(実際のところ割合としては多くなかったのかもしれない。しかし欲しい側からすると2〜3人でも持っていれば「みんなもっている」と認識してしまうのだ)
しかし、我が家の父親はそれを買う事を許さなかった。なぜなら、もう「出来ている」ものでは想像力が育たないし、なにより「工夫」が損なわれるからだ、と。
ならば「プラモデル」ならばいいんじゃないか、とこっそり買ってみたが、学校から帰ると組立て途中だったプラモデルがゴミ箱に捨てられていたこともあった。
「他人と同じような事をするな」とも言われた。工夫を重んじ独創的であれ、との願いからだと思う。
たしか修学旅行の前だったと思う。とある服屋で白地に赤い文字で「非常口」と書かれたTシャツが変わっていて面白いと思って買って帰ったら、父親にもの凄く叱られた。
バカじゃないか?ということで。
子供ながらに多少の不条理さを感じたりもしたような記憶がある。

唐突だけども出かけなくてはならない時間となったので、つづく(予定)
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一滴、一滴が海になる

だいたい3ヶ月半ぶりに仙台に行った。

前回の時はまだ道路脇に車が転がっていた産業道路も、奇麗に片付けられところどころお店が復活しはじめていた。
しかし、沿岸部の田んぼには、前回と変わらぬ光景があった

今回は七ヶ浜地区でボランティア活動に参加。
平日だったが8月最期の日のせいか、参加者はとても多かった。
私と妻は、38人の個人参加者達と「児童公園」だった場所の清掃・草むしりに当たることになった。

流されてしまったのか元々ないのか・・遊具のたぐいは一切なく、ただただ雑草が無秩序に生い茂った広場。
いくら38人といえど、到底むしり尽くす事はできないと思ったのだが。
やや角度は違うが、上下の画像が同じ場所であることは電柱と山肌で判るはず。
まさに「一滴、一滴が海になる」のだ。
その日のうちに全ては終わらなかったが、作業に当たった見ず知らずの38人の心のなかには、間違いなく達成感が芽生えていたはず。

作業中ずっと!イケメンの若者2人にオバハン(というほどでもないのかもしれん)2人が一生懸命話しかけていてちょっとイラっと来たが、しかし、それでいいのだ。
前にも書いたが、参加する理由はどんなものでもいいと思う。
オバハンが「いきのいい若者」に長時間接する機会など、日常ではなかなかないだろう。
おしゃべりに夢中でとても能率的とはいえなくても良い。これは仕事ではないのだから。

ボランティア活動には、ちっぽけかもしればいけどなにがしかの達成感がある。そして救われる人がいるのだ。


ボランティアセンターがある建物の近くにあった広大ながれき置き場。
恐らくアマチュア向けの野球場くらいの大きさはあるだろう。
がれきの1つ1つは、津波に壊された家の破片、大切にしていた服やカセットテープ、骨董の壷やバイクの部品、壊れた楽器・・・それらがうずたかく積み上げられている。

長い時間をかけて積み上げてきたものが、津波で一瞬のうちにこっぱ微塵になったが、これからまた少しづつすこしづつ積み上げてゆくのだ。
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「深沼のセブンイレブンで待ち合わせ」

 前回から4ヶ月近くぶりの仙台
3/11の震災とその後の余震とで、ひどく歪んでしまった昭和38年建立の我が家のリフォームが始まっていた。

大好きだった深沼海岸。よく待ち合わせしたり買い出しをしたセブンイレブンは勿論、付近にあったはずの家々は、土台を残して消え去っていた




この辺りに住んでいた人たちは、都市計画(津波対策として、どのあたりまでを住居として可能な地域にするのか)が定まっていないので、戻るに戻れず避難所や仮設住宅などに住んでいるということです。
住み慣れた街、家、自分ならどうするだろう?千年に1度の津波ならば、次ぎにくるのは千年後・・そう思ってまた同じ場所に住むのだろうか。
失ったものはあまりに大きく、その気持ちをまた再び味わぬよう新たな住処を探すのだろうか。

明日は、深沼とともに学生時代何度も訪れた七ヶ浜で、ボランティア作業の予定
台風が気になりますが・・

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仙台・3日目

 震災ボランティア2日目
今日の作業はしんどかった・・
水や油、汚水・海水を含んだヘドロ状の泥を製材所(?)の作業場からかき出す作業に10名で着手。
泥が重い。そして臭い。
震災から2ヶ月が経ち、これでもにおいは納まってきてる方なんだろう。
日頃の不摂生が仇となり、20分程作業していると体が辛くなってくる。
しかし、10人掛かりでシステマティックに作業がはかどり午前中には奇麗にヘドロの除去ができた。

ボランティアは給料が出る訳ではない。誰かに感謝してもらいたいからやる訳ではない。
(もちろん、ありがとう、助かったよ!といわれると大変うれしい)
それゆえに、絶対にムリをせず時にはさぼる事も大事と思った。

前向きに取り組む理由であれば、どんなものでもいいと思う。
ボランティアに参加するような女の子は、まじめで行動力があってしっかりしている素敵な人が多い(と思う)ので、お嫁さんさがしとか。
登山とかジム通いとか、肉体の鍛錬をこのむ人にも良いと思う。
とても不謹慎な見方ではありますが、しかしやるからには自分なりの楽しみをそこに見つける事もまた、すごく大事。

今日明日に片付くような状況では全くないので、できる限り継続的に参加できるよう体力にも気力にも余力を残しておく事が大切と思うのだ。
というわけで、明日は参加しないで帰京します。
また来よう、と思えるうちに。

おっと、仙台最後の夜はなじみのバーでライブ!
私が思う人生の幸せとは、どんなことにでも前向きに取り組もうと思う気力があることだと思っている。
生きていると辛い事悲しい事、たくさんある
それでもめげずに前向きに取り組む為のツールの一つが音楽であるのだ。
今宵は、気の置けない仲間達が沢山集まってくれた。初めて見る顔ぶれもいた。
またまた不謹慎だけども・・「頑張ろう日本!」というよりは「楽しもう日本!」と、言いたい。
と、ここまで書いて終わりにするつもりだったが、念のために補足しておく。
ボランティアに行った先には、大切なものを失った悲しみや不自由な生活を強いられている苦しみが、大小さまざまだが必ずある。
当たり前のことだが、なにがしかの目標に基づいた作業をしにきてるという本分を忘れてはいけない。
これらは、ボランティアするための方法や手段を自分一人で調べられる人なら解りきった事であると思うけども。あくまで念のため。
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